こんにちは!車いすバスケットボールをご覧になったことがありますか?
車いすバスケットボールはジャンプができないため、上半身と腕の筋肉でボールをシュートします。人間の可能性が広がるスポーツですね!今回は車いすバスケットボール日本代表・宮島旗手徹也選手のご家族や経歴をまとめています。
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(引用:@jwbf__official)
宮島徹也の嫁や子どもは?家族構成は?
奥さん:
息子:3人
宮島選手は2021年8月現在、32歳です。
23歳のときにはすでにお子さんがおり、子煩悩な姿をインタビューで答えていましたのでお子さんは10歳くらいの年齢になってると思います^^
若くでご結婚されたんですね!
SNSを調査しましたが、奥様のことや息子さんの詳しい情報は見当たりませんでした。
東京パラリンピックでは、父が日本代表で活躍している姿を息子に知ってほしいと語っておられます。
とても優しそうでたくさん遊んでくれそうなお父さんのイメージですので、ぜひ息子さんにメダルを見せてあげたいですね!
奥様も3人の息子さんを育ててらっしゃるので、アクティブな方なんでしょうね^^
息子さんの食事やとアスリートの栄養管理などを考えると、マネジメント力の高い人なんだろうな~と感じます。
宮島徹也の経歴は?
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(引用:@coogee_bee)
いつから車椅子生活になったのか?宮島選手の経歴をお伝えします。
宮島選手は小学校4年生の頃兄2人の影響で地元のミニバスケットチームに入団しました。
運動は苦手で体形は太っていたそうです。嫌々なときもあったようですが、ある時コーチにリバウンドを褒められたそうです。
身長も小学生の頃170cmもあったというから驚きです!
中学生になってもバスケにのめり込んでいて練習漬けの日々。
中学2年生のときバスケの練習中に靱帯(じんたい)断裂をし手術することになりました。
「手術すれば、またバスケができる」と思っていた。早くコートに戻りたかった。入院し、手術後、激痛で目が覚めた。治ったはずなのにおかしい。見舞いに来た友人からは「脚がどす黒い」と言われた。
(引用:中日新聞)
手術のミスがあり、血管を損傷。左足切断を余儀なくされました。
心身ともに絶望の中、漫画『リアル』(井上雄彦)にハマりました。
当時、日本代表だった野沢拓哉さん(車いすバスケジュニア元選手・富山県出身)が
「一緒に日本代表になろうぜ」
(引用:中日新聞)
と声をかけてくれたのがきっかけで競技を始めることになったそうです。
競技用車いすを操ることが難しく悔しい思いをしたそうですが、
バスケができるうれしさが勝り、もっとうまくなろうと思った。野沢さんに追いつきたい気持ちもあって、「北京パラリンピック日本代表になる」と目標をあえて高く置き、自らを奮い立たせた。
と語っています。
2008年北京パラリンピックではチーム最年少の19歳で出場しました。
競技歴はベテランですね!東京2020は4度目のオリンピック出場となります!
宮島選手の落ち着いていて安心感のあるディフェンスが勝利への鍵となるはずです!
宮島徹也のプロフィール
宮島徹也選手、藤澤潔選手、岩井孝義選手たちが語るラジオ https://t.co/IngRqXAPPY
— あきなお(アッキー) (@mymelodycanvas7) September 16, 2017
名前 | 宮島 徹也(みやじま・てつや) |
生年月日 | 1988年11月29日 |
身長/体重 | 177cm/77kg |
出身地 | 富山県砺波市 |
出身中学校 | 砺波市立庄西中学校 |
出身高校 | 高岡龍谷高等学校 |
出身大学 | 日本福祉大学 |
所属 | オー・エル・エム・デジタル、富山県WBC |
現在は石川県にお住まいで、富山市勤労身体障害者体育センターで練習をしています。
終わりに・・・
いかがでしたか?
ディフェンス力があり落ち着いたプレーで冷静に判断し、いい流れを作る宮島徹也選手です!今後も分析力を生かしてチームを引っ張っていくことでしょう!
それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました!